Rusher Kimura[ラッシャー木村](1941-2010)

プロフィール

◆北海道出身
◆1941年6月30日生
◆185cm125kg
◆宮城野部屋→日本プロレス→東京プロレス→国際プロレス→新日本プロレス→全日本プロレス→NOAH

略歴

高校生のとき兄と大相撲・宮城野部屋に見学に行き、親方から角界入りを誘われた。木村はちゃんこをごちそうになったので断り切れず、高校を中退し宮城野部屋に入門する。

1958年3月、初土俵をふむ。

1964年9月、幕下20枚目で廃業する。

プロレスラーに転向

1964年10月、日本プロレスに入団する。

1965年4月、プロレスデビューする。

1966年、東京プロレス旗揚げに参加する。

国際プロレスに移籍

1967年、国際プロレスに移籍する。

1969年4月、サンダー杉山と組み、TWWAタッグ王座を獲得する。

1969年8月、アメリカに遠征する。

金網デスマッチ無敗「金網の鬼」

1970年8月、帰国する。

1970年10月、日本初の金網デスマッチを行う。

1971年9月、サンダー杉山と組み、IWA世界タッグ王座を獲得する。

1973年10月、IWAワールドシリーズで優勝する。

1974年6月、日本初の金網チェーンデスマッチを行う。

1974年、IWA世界ヘビー級王座を獲得する。

1976年、ジャンボ鶴田と対戦し、年間最高試合賞を受賞する。

1979年、IWA・AWAダブルタイトルマッチでバーンガニアと対戦し、バーンガニアの反則負けとなる。

新日本プロレスに参戦・参戦表明は良い人柄が出てしまった

1981年9月23日、新日本プロレスへの参戦表明のため、ラッシャー木村はアニマル浜口とともに新日本プロレスのリングに上がった。新日本プロレスへの対抗意識を前面に出した威勢の良い参戦表明が行われると予想されたが、ラッシャー木村は、テレビ朝日のアナウンサーからマイクを向けられると「こんばんは・・・」と挨拶から話をはじめ、会場内は拍子抜けの感じになってしまった。その後、アニマル浜口マイクを取り、威勢の良い言葉で会場を煽ったがもう遅かった。

1981年10月、国際プロレスが解散し、新日本プロレスに参戦する。

1982年、アメリカに遠征し、剛竜馬と組み、NWAアメリカスタッグ王座を獲得する。

1984年、UWFの旗揚げメンバーとなったが、数か月で離脱する。

全日本プロレスに参戦

UWF離脱後、全日本プロレスに移籍する。

1984年の世界最強タッグ決定リーグ戦でジャイアント馬場とタッグを組むが、試合中に仲間割れとなる。

1988年、馬場と和解し「義兄弟コンビ」を組み、百田光雄を加えて「ファミリー軍団」を結成する。永源遥・大熊元司・渕正信の「悪役商会」と抗争する。

ラッシャー木村マイクが大ヒット

ジャイアント馬場・ラッシャー木村・百田光雄の「ファミリー軍団」と、永源遥・大熊元司・渕正信の「悪役商会」の6人タッグマッチが休憩前の恒例となり、試合後のラッシャー木村のマイクが大いに受けた。ラッシャー木村マイクは、木村の正直な人柄が表れており、多くの共感や感動を呼び、いまでも数々のメディアで観られる。

NOAHに移籍

2000年、NOAHに移籍する。

2004年7月、引退を表明する。

2010年5月24日、68歳で死去する。

タイトル獲得歴

IWA世界ヘビー級王座
IWA世界タッグ王座
TWWA世界タッグ王座
IWAワールドシリーズ優勝(1973年、1977年)
日本リーグ争覇戦優勝(1978年)
NWAアメリカスタッグ王座

■関連記事

タイトルとURLをコピーしました