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2019.03.24・・ダンカンの昔からだめなところ「お父さんの骨壺にカップイン」

感動シーンを台無しにした「お父さんの骨壺にカップイン」師匠からいただいた名前「ふんころがし」を捨てた


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ダンカンの「昔からダメなところ」

たけし軍団のダンカンが、イチロー引退に関する、しょーもない発言をして悪口を言われているが、このような、しょーもない言動は昔からである。

ダンカンの「昔からダメなところ」=感動的なシーンを台無しにする発言

1991年12月、プロゴルフの有名な大会「ゴルフ日本シリーズ」で尾崎直道が優勝した。この大会の直前、尾崎の父が死去し、通常ではゴルフどころではないが、尾崎直道はこの大会に優勝すれば賞金王を獲得できる状況であった。兄の尾崎将司と尾崎健夫は弟に出場を促し、尾崎直道は悲しみをこらえながら出場した。

尾崎直道は見事に優勝し賞金王を確定させた。尾崎が「自分以外の力が加わった」という趣旨の発言をし、父の死を乗り越え父から力をもらい優勝したシーンが感動的に語られるはずだった。

ダンカンは当時、スポーツの結果を紹介する番組のコメンテイターを務めていた。この日、尾崎直道の優勝を決めるパッティングの映像が流れた後、ダンカンが述べたのが以下の言葉である。

「お父さんの骨壺にカップイン」

共演していた青田昇は苦虫を噛み潰したような顔をし、白けた空気、凍り付いたような空気が充満した。

 

ダンカンの「昔からダメなところ」=師匠からいただいた名前「ふんころがし」を捨て、前の師匠のときの名前「ダンカン」を名乗っている。

ダンカンは若い頃、落語界のスーパースター立川談志に弟子入りし「立川談かん」を名乗っていた。その後、立川談志に申し出て、たけし軍団に移った。立川談志とビートたけしは認めあう間柄だったため、すんなりと移ることができた。

1984年、師匠のビートたけしが弟子たちに名前を与えた。そのときにダンカンが与えられた名前が「ふんころがし」と「ネズミ男」であった。それ以降は「ふんころがし」を名乗り、テレビ番組「スーパージョッキー」では「ふんころがし」と表記されていた。

その後、タレント活動とは別に作家活動を始めた際に、作家としての名義は「ダンカン」とした。それから、徐々にタレント活動の名前も「ダンカン」を名乗るようになった。

ダンカンは師匠からありがたくいただいた名前を捨て、前の師匠のときの名前を名乗っていることになる。自分から願い出て弟子にしてもらった師匠からありがたくいただいた名前は大事にするべきであろう。

たけし軍団の一人・玉袋筋太郎は、人間の陰部を連想させる名前であるにもかからわず、師匠からいただいた名前を名乗りテレビ出演をしている(「玉ちゃん」という表記の場合もある)。


▲玉袋筋太郎(玉ちゃん)

 

ダンカンの「昔からダメなところ」=面白いことを発信しない・世間の気分を悪くするだけの発言

ダンカンは、昔から悪行の噂が絶えない。後輩芸人への暴力、息子への土下座強要、亡き妻の闘病中の浮気や医療費支出拒否など、目も当てられない悪い噂が多い。

師匠のビートたけしは、数々の悪行をしてきたが、それを上回る面白さで批判する人達を圧倒してきた。常に面白いことを言って笑わせようとしてきた。テレビで規制が強くなった近年でもそれは変わっていない。最近では「こんばんは。ピエール瀧です」と言って怒られたと言っていた。

ダンカンは師匠を見習って面白いことを発信するべきであろう。今回のように、イチロー引退の様子を「くだらない」と言って、悪口を言われてから、いろいろ言い訳を付け足した謝罪をするのは、全く面白くなく、世間の人の気分を悪くしているだけである。

結論=ダンカンは師匠を見習って面白いことを発信するべきである


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