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【歴史】日本が無謀な戦争をした原因を考える【はじめに】昭和の戦争がいかに無残だったか

満州事変から太平洋戦争終結までの無謀な戦争

日本は、1931年の満州事変から1945年の終戦までの約14年間、主に、中国、アメリカ、イギリス、ソ連などの多数の国を相手に戦争を続け、日本人だけで数百万人の犠牲者を出した。

昭和の日本が無謀な戦争を続けた原因を考え、今の日本と比較し、同様なことが発生しないかを考えることは大変重要である。

日本の戦争の分岐点

満州事変から国際的に孤立
日本は満州事変により国際連盟で反発を受け孤立し、1933年に国際連盟から脱退した。同様に国際連盟から脱退したドイツ・イタリアと組み国際的に孤立した。中国とは、満州事変以降、1945年の終戦まで戦争を続けた。

日独伊三国同盟からアメリカと敵対し開戦
日本は日独伊三国同盟によりアメリカの反感を買い、屑鉄・石油の輸出禁止という制裁を受け、ついに日米開戦に踏み切った。同時にイギリスとも開戦した。最初の半年は勝ち続けたが、ミッドウェイ海戦で惨敗してからは立ち直ることはできず、終戦まで負け続けた。

ソ連の満州侵攻
ソ連は日本と締結していた中立条約を破棄し、満州・南樺太・千島列島に侵攻した。日本は日露戦争で獲得した領土をソ連に奪われた。日本は終戦に向けて、ソ連の仲介に期待していたが裏切られた。

いかに悲惨な戦争だったか・・満州事変から終戦までの戦いと犠牲者

日本は満州事変から終戦までの約14年間で数百万人の犠牲者を出した。
無謀な戦争を英米に仕掛け、最初の半年間は勝っていたが、ミッドウェイ海戦以降は何度も何度も何度も負け続けた。補給が不十分な無謀な戦闘を何度も何度も決行し、日本中が大空襲を受け犠牲者が増え続けても戦争をやめず、原子爆弾を2発落とされ、ソ連の満州侵攻を受け、ようやく日本政府は降伏した。

戦争の経過と犠牲者数
1931年  9月・・満州事変[2,000]
1932年  1月・・上海事変[6,000]
1933年  2月・・国際連盟を脱退

1937年  7月・・日中戦争[400,000]
1940年  9月・・日独伊三国同盟締結
1941年  4月・・日ソ中立条約締結

1941年12月・・日米英戦争開戦
1941年12月・・
真珠湾攻撃[60]
1941年12月・・○マレー作戦開始[9,600]
1941年12月・・○フィリピンの戦い[9,000]
1942年  6月・・×ミッドウェイ海戦[3,000]
1942年  8月・・×ガダルカナル島の戦い[24,000]
1944年  3月・・×インパール作戦[50,000]
1944年  6月・・×マリアナ諸島の戦い[60,000]
1944年10月・・×レイテ沖海戦[10,000]
1944年11月・・×本土空襲[560,000]
1945年  2月・・×硫黄島の戦い[21,000]
1945年  4月・・×沖縄地上戦[100,000]
1945年  4月・・ソ連が中立条約破棄通告
1945年  8月・・×広島に原爆投下[140,000]
1945年  8月・・×長崎に原爆投下[80,000]
1945年  8月・・×ソ連が満州侵攻[80,000]

1945年  8月・・×無条件降伏表明(玉音放送)
1945年  9月・・降伏文書調印
※○=勝利,×=敗戦,[  ]=犠牲者数(推定)
※日付は戦争が始まった日付を記している。
※犠牲者数は様々な資料・数値があり正確に把握するのは困難であるため、一般的に多く使われている数値を使っている。

※日中戦争では、最後まで日中間で直接の決着はつかず、1945年8月に日本が連合国に降伏表明したことにより連合国側の中国に負けたと解釈される。
※原爆の被害者は原爆投下直後の犠牲者数を示している。戦後、被爆が原因で亡くなった方は数十万人に及ぶ。
※終戦後のシベリア抑留では約6万人の犠牲者があったといわれている。

無謀な戦争をした原因

昭和の日本が無謀な戦争を行った原因としては、以下の4つの事項が考えられる。

1.政治体制の欠陥「統帥権独立」「帷幄上奏権」

2つの権限により統帥権が独立
【統帥権】天皇が統帥権を持つことが大日本帝国憲法に明記された。
【帷幄上奏権】軍部が内閣や議会を通さずに天皇に上奏する帷幄上奏権が認められた。
この2つの権限により、軍部が天皇の名のもとに独断で方針を決定することが可能となった。
※統帥権:軍を指揮する権限
※上奏:天皇に直接お会いして提案などをすること

2.政治家に人物がいなかった・・天皇の意に反し開戦し天皇に降伏表明をさせた

昭和初期からの日本政府の指導者達は、国の行く末を左右する重要な分岐点で、数々の致命的な誤りを犯した。

戦争回避を望んでいた天皇の意に反し日本をアメリカとの開戦に導いてしまった。

日本の戦闘能力が失われ、敗戦しか無い状況となっても、どの政治家も終戦の決断をしなかった。最終的には天皇に降伏の表明をさせた。

3.情報統制・日本国民の熱狂

大本営の情報統制
戦時体制で設置された大本営は、検閲を行い、マスコミに圧力をかけ、軍部に都合の悪い報道を禁止し、情報を統制し、勝ち続けているような戦争報道ばかり行い、都合の悪い真実が国民に伝わらないようにした。

マスコミは「真実の報道」よりも「儲け主義」を選択
マスコミは、軍部が言うとおりに嘘の報道をした。報道会社は、国民に「真実の報道」をすることよりも、戦争報道により売り上げを増やす「儲け主義」を選択した。

日本国民の根拠がない熱狂
「長いものに巻かれろ」という傾向を持つ日本国民は、軍部やマスコミの嘘の報道についても疑問を持たず、何も考えず、「根拠がない熱狂」をするだけだった。

4.成功体験による「戦争勝利病」から「戦争依存症」

戦争が良い事だと思い込む「戦争勝利病」
1894年の日清戦争勝利、1904年の日露戦争勝利、1914年の第一次大戦勝利、と戦争に勝利することが続き、そのたびに領地を獲得したという成功体験から、戦争が良い事のように思い込む「戦争勝利病」となった。

戦争から抜け出せなくなる「戦争依存症」
戦争の方針を決める戦争指導者たちは、戦地で闘わないポジションの人達であり、自分は戦争で死ぬ可能性がない人達である。彼らは「机上演習」により戦略を練り、勝利を目指し、将棋の駒の様に兵士を次々と戦地に送り込んだ。

既に「戦争勝利病」になっている戦争指導者たちは、机上の「戦争ゲーム」に夢中になった。戦闘で勝ったときは「もっともっと」と拡大させ、負けたときは「今度こそ今度こそ」とさらに拡大させ、戦争をやめられなくなる「戦争依存症」となった。

4つの原因は現在にはないのか

戦争の原因を論理的に考える
引き続き、この4つの原因の一つ一つを掘り下げ、昭和の無謀な戦争に至った原因について、論理的に組み立てながら考えることが重要である。

4つの原因は現在には当てはまらないか
4つの原因を論理的に考えたうえで、それが現在には当てはまっていないのかを考えることは大変重要である。

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