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アントニオ猪木「アントニオ猪木流のストロングスタイル」とは

■アントニオ猪木‥

 




アントニオ猪木「アントニオ猪木流のストロングスタイル」とは

 

アントニオ猪木が日本プロレスから独立し新日本プロレスを創設

アントニオ猪木は、1960年にブラジルで力道山からプロレスにスカウトされ、1971年までプロレス団体「日本プロレス」に所属した。

1966年に一時退団したが短期間で復帰している。

1971年末に日本プロレスを離脱し、1972年、新団体「新日本プロレス」を創設した。


▲アントニオ猪木

 

カールゴッチは「プロレスの神様」

カールゴッチは、日本にジャーマンスープレックスホールドをもたらし、様々なプロレス技術を日本に伝えた「プロレスの神様」であり、猪木の師匠ともいえる人物であった。


▲カールゴッチのジャーマンスープレックスホールド

1972年3月6日、アントニオ猪木が創設した新団体「新日本プロレス」の旗揚げ戦が東京・大田区体育館で行われた。

メインイベントは、猪木と師匠の対決「アントニオ猪木 vs カールゴッチ」であり、アントニオ猪木は敗れている。

アントニオ猪木は、「ストロングスタイル」について、以下のように自伝に記している。


ゴッチはやはり強かった。

彼は教え子の門出に花を持たせるような、そんな男ではない。

私はゴッチに学んだ卍固めを切り返され、スープレックスで叩きつけられてフォール負けした。

私は満足していた。

勝ち負けではなく、プロレスの凄みを観客に伝えられた。

カールゴッチ流の技術の攻防を見せるスタイルと、力道山流の喧嘩に近いスタイルを融合させた、アントニオ猪木流のストロングスタイルを見せることができたのだ。

※「アントニオ猪木自伝」より抜粋引用


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