■小橋建太‥
◆京都府福知山市出身
◆1967年3月27日生
◆186cm120kg
◆全日本→NOAH
略歴
1987年、京セラを退職し、全日本プロレスに入門する。
1988年2月26日、全日本プロレスからプロレスデビューする。
1990年4月9日、二代目タイガーマスクと組み、アジアタッグ王座を獲得する。
世界最強タッグ決定リーグ戦3連覇
1993年12月、三沢光晴と組み、世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝する。
1994年12月、三沢光晴と組み、世界最強タッグ決定リーグ戦で2連覇を達成する。
1995年12月、三沢光晴と組み、世界最強タッグ決定リーグ戦で3連覇を達成する。
三冠ヘビー級王者に君臨
1996年7月、三冠ヘビー級王者となる。
1997年5月、ジョニー・エース、パトリオットと組み、新チーム「GET」を結成する。
1998年9月、秋山準と組み、「バーニング」を結成する。
2000年4月、チャンピオンカーニバルで初優勝する。
NOAHに移籍、GHCヘビー級王者に君臨「絶対王者」
2000年8月、NOAHに移籍し、旗揚げ戦に参戦する。
2003年3月1日、GHCヘビー級王者となる。2年間ベルトを保持し、13回防衛する。「絶対王者」と呼ばれる。
2003年5月、新日本プロレス東京ドーム大会に出場し、GHCヘビー級選手権で蝶野正洋から防衛する。
2006年6月、腎臓癌の治療で欠場する。
2007年12月、リング復帰する。
2009年10月、蝶野正洋25周年記念試合で、蝶野正洋、武藤敬司とタッグを結成する。
2010年6月、歌手のみずき舞と結婚する。
選手を引退し、興行のプロデュースを行う。
2013年5月、引退試合を行う。
2014年6月、小橋建太がプロデュースする興行「Fortune Dream1」を行う。その後も継続してプロデュース興行を開催している。
小橋建太のすごいところ
絶対的な練習量で「絶対王者」となる
練習量は誰も全くかなわなかった。時間があれば常に練習をしていた。
ジャイアント馬場が「休むのも練習の内だから休め」と命令した。
馬場は小橋のことを「小橋は趣味が練習、職業はプロレスラー」と言っていた。
小橋が入院した時には、三沢光晴が「病室にダンベルを持ち込ませるな」と他の選手に言っていた。
秋山準やKENTAが小橋の練習につきあって、オーバーワークで病院送りとなった。
川田利明が小橋について「あいつを殺すには刃物は要らない。ダンベルを取り上げればいい」と言った。
小橋が異常なほど練習熱心で他のレスラーには嘲笑するような人もいた。
天龍源一郎が「おまえら笑ってるけどな、今にこいつに食わせてもらう日が必ず来るぞ」と言った。
究極のベビーフェイスであった。
ファンサービスを丁寧にし、サインを断ることはほとんど無い。
負け惜しみ、人の悪口、デカい口を叩くなどということは一切なかった。
鈴木みのるは小橋について以下のように言っている。
「俺に挑発されると大抵ムキになって言い返す。
そうすると向こうの印象が悪くなるだけで、大体口で俺に勝てるわけがねぇ。
でも小橋建太はそういうことが無い。
あいつこそ真のベビーフェイスだ」
得意技
獲得したタイトル
三冠ヘビー級王座
世界タッグ王座
アジアタッグ王座
チャンピオン・カーニバル優勝(2000年)
世界最強タッグ決定リーグ戦優勝(1993年・1994年・1995年・1998年・1999年)
GHCヘビー級王座
GHCタッグ王座
GHC無差別級王座
プロレス大賞MVP(1996年、1998年)