■前田日明‥
◆大阪府出身
◆1959年1月24日生
◆192cm115kg
◆新日本→UWF→新日本→UWF→リングス
略歴
1977年8月、新日本プロレスからプロレスデビューする。新日本に入門したのは、佐山聡のスカウトがきっかけだった。
1982年2月、イギリスに渡り、クイック・キック・リーというリングネームで活躍する。
1983年1月、ヨーロッパヘビー級王座を獲得する。
1983年、IWGP決勝リーグ戦に欧州代表として出場する。日本で出場するようになり人気が急上昇する。
UWFに移籍
1984年、新団体UWFに移籍する。
1985年、佐山聡と団体の方向性で対立し、団体は崩壊する。
新日本プロレスに復帰
1985年12月、新日本プロレスに復帰する。前田はファンの前で「1年半UWFとしてやってきたことが何であるか確かめに来ました」と述べた。
1986年4月、アンドレ・ザ・ジャイアントとのシングルマッチで不可解な試合内容となり、無効試合となる。
1986年10月、両国国技館「INOKI 闘魂 LIVE」でドン中矢ニールセンとの異種格闘技戦を行い、逆片エビ固めで勝利する。このころから「新格闘王」と呼ばれる。
1987年11月、長州力の顔面にキックをし怪我をさせたとして、無期限出場停止となる。その後、解雇となる。
第2次UWFを旗揚げ・プロレス大賞MVPを獲得
1988年5月、第2次UWFを旗揚げする。
1989年、プロレス大賞MVPを獲得する。
1990年、前田が会社を批判し出場停止となる。
1991年、前田と選手達と話し合うが不調に終わり、UWFは解散する。
リングス設立
1991年5月、リングス旗揚げ戦を行う。
1991年12月、コマンドサンボのヴォルグ・ハンをリングスに参戦させる。ハンは様々な関節技で観客を魅了し、大ブレイクする。その後、アンドレイ・コピロフも参戦し、知恵の輪のような関節技の応酬が見られた。
1994年1月、メガバトルトーナメントで優勝する。
1996年1月、メガバトルトーナメントで2度目の優勝を達成する。
引退試合・アレクサンダーカレリンと対戦
1999年2月、前田日明引退試合として、アレクサンダー・カレリンと対戦する。ロシアの英雄であるカレリンをプロの格闘技のリングに上げたということで、一般世間にも注目され、ニュース報道された。前田は「本当に強い人間っていうのは、こういうことだよっていうのを証明したかった」と述べている。
引退後は、ビッグマウスラウドやHERO'Sでスーパーバイザーを務めた。
2008年3月、アマチュアの格闘技大会「THE OUTSIDER」の旗揚げ戦を行った。
獲得したタイトル
ヨーロッパ・ヘビー級王座
UWFヘビー級王座
IWGPタッグ王座
リングス・バトルディメンショントーナメント優勝(1993年)
リングス・メガバトルトーナメント優勝(1995年)