ラッシャー木村「こんばんは・・・」
ラッシャー木村は、1967年から国際プロレスのエースとして活躍してきたが、1981年、国際プロレスの崩壊により新しい活躍の場を求めていた。
1981年9月23日、ラッシャー木村はアニマル浜口とともに、田園コロシアムで試合を行っていた新日本プロレスのリングに登場した。リングに上がりテレビ朝日のアナウンサーからマイクを向けられた。このとき観衆は、ラッシャー木村がアントニオ猪木をはじめとする新日本プロレスの選手に対して挑戦表明をし、殺伐とした雰囲気で次回の期待感が最高潮となることを期待したはずである。
ラッシャー木村の人の好さが出てしまった・・・・
しかし、ラッシャー木村は、まずは集まってくれた観客に対し挨拶をしなければと思い、「こんばんは…」と丁重に挨拶をしてしまった。木村の人の好さが現れ、ほのぼのとした雰囲気になってしまい、殺伐とした雰囲気を期待した観衆をを拍子抜けさせ、失笑が出る始末であった。
▲左からアニマル浜口・ラッシャー木村・保坂アナウンサー
アニマル浜口が咄嗟にフォロー
これはまずいと察知したアニマル浜口は、咄嗟にマイクをとり、威勢の良い挑戦表明をした。アニマル浜口は、場の空気を読み制御する能力があった。
▲アニマル浜口が威勢よく挑戦表明
一般世間にも広まった
この光景があまりにも面白かったため、ビートたけしが「こんばんは、ラッシャー木村です」とネタにし、一般世間に広まった。
ビートたけしは、たけし軍団の一員に「ラッシャー板前」と命名し、ラッシャー木村と同様の黒のロングタイツをはかせた。
アニマル浜口の才能は受け継がれている・・・場の空気を制御・一発フレーズ・軍団統率力
▲2000年代以降のアニマル浜口
アニマル浜口は、場の空気を制御する能力のみならず、軍団を統率する能力と一発フレーズの能力に優れていた。
1980年代は、長州軍団の司令塔役として重要な役割を担った。2000年代以降は、「気合いだー」を連呼する人というイメージが定着し、頻繁にテレビに出ている。
▲内藤哲也
アニマル浜口の弟子である内藤哲也は、2015年にLos Ingobernables de Japónを結成後、メンバーの個性を引き出しながら軍団を統率し、大ムーブメントを巻き起こした。Los Ingobernables de Japónは、久々に出た軍団抗争の大ヒット作となった。
Los Ingobernables de Japónという長い軍団名だが、前半部分を自分が巻き舌で呼称し、観客が叫ぶ部分を最後の「デ・ハ・ポ・ン」に集約することにより、会場で大きな盛り上がりをつくることに成功している。