室町幕府の成立
鎌倉幕府滅亡
1331年、後醍醐天皇が、鎌倉幕府に対する倒幕計画を立てていたが事前に発覚し、天皇は隠岐島へ流された。
その後、幕府に不満を持っていた楠木正成や赤松則村などが反幕府の兵を挙げる。
1333年、後醍醐天皇は隠岐の島を脱出し、倒幕の兵を挙げる。
足利尊氏は、当初は幕府から京都に派遣された御家人であり、反幕府勢力を討伐する役目だったが、突然、反幕府を宣言し、後醍醐天皇側に寝返った。
足利尊氏は、赤松則村や千種忠顕とともに京都を攻め、六波羅探題を滅ぼした。
新田義貞は、鎌倉を攻め北条氏を滅ぼし、他の有力武将も自害し、鎌倉は陥落した。
征夷大将軍・守邦親王は、将軍職を辞して出家した。
これにより、約150年続いた鎌倉幕府は滅亡した。
その後、後醍醐天皇は京都に帰還する。
建武の新政
後醍醐天皇は、政治体制・人事について以下のような改正を行った。
◆光厳天皇の皇位を廃止
◆正慶の元号の廃止
◆光厳天皇が署名した詔書の効力停止
◆光厳天皇が与えた官位の効力停止
◆関白の鷹司冬教の解任