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テンリュウゲンイチロウ・・天龍源一郎


▼福井県勝山市出身
▼1950年2月2日
▼189cm120kg
▼二所ノ関部屋→全日本→SWS→WAR→天龍プロジェクト
▼馬場と猪木の両方からスリーカウントをとった唯一の日本人


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天龍源一郎の略歴

1963年12月、二所ノ関部屋に入門する。

1976年9月、大相撲を廃業する。

1976年10月、全日本プロレスに入門する。

1976年11月、アメリカ・テキサス州でプロレスデビューする。

1976年12月5日、日大講堂のリング上で断髪式を行う。

1977年6月、ジャイアント馬場と組みタッグマッチで日本デビューする。

全日本第3の男になる

1981年7月、ディックスレーターが交通事故で試合を欠場したことにより代役に天龍が起用され、ビルロビンソンと組み、馬場・鶴田と対戦したインターナショナルタッグ選手権が評価される。この後、全日本第3の男(馬場鶴田の次)と言われるようになる。

1984年2月、UNヘビー級王座を獲得する。

1985年、長州力が全日本に参戦し、闘争心むき出しのファイトスタイルに変貌する。

プロレス大賞MVP・3連覇、馬場からピンフォール勝ち

1986年、阿修羅原と組み、「龍原砲」を結成する。その後、サムソン冬木、川田利明、小川良成が加わり、「天龍同盟」となる。地方でも決して手を抜かない闘いぶりが大人気となる。

1986年~1988年、プロレス大賞MVP・3連覇を達成する。

1989年6月、ジャンボ鶴田との対決を制し、三冠ヘビー級王座を獲得する。

1989年11月、ハンセンと組み、ジャイアント馬場・ラッシャー木村とタッグマッチで対戦した。馬場の入場時に奇襲攻撃し、ラッシャーを戦闘不能に追い込み、馬場からピンフォールを奪った。

全日本プロレス離脱

1990年、全日本プロレスからSWSに移籍する。

1991年、レッスルマニアに出場する。

1992年、SWSが崩壊しWARを設立し、新日本プロレスと対抗戦を行う。

1993年、長州力、木村健吾、橋本真也、蝶野正洋、馳浩、藤波辰爾にシングルマッチで勝つ。4回目のプロレス大賞MVPを獲得する。

馬場・猪木の両方からピンフォール勝ちした唯一の日本人となる

1994年1月4日、アントニオ猪木からシングルマッチで勝利する。

1996年10月、グレートムタから勝利する。

1996年12月、高田延彦から勝利する。

1998年2月、神取忍と対戦し、パンチでボコボコにする。

2000年、全日本プロレスに参戦する。

2000年10月、三冠ヘビー級王座を獲得する。

2001年、チャンピオンカーニバルで優勝する。

2004年、ドラゴンゲートに参戦し、マグナムTOKYOと十番勝負を行った。

2006年、久しぶりにWARに試合を行う。

2007年10月、初代タイガーマスクと初めて対戦する。

天龍プロジェクトを設立・引退試合がベストバウトとなる

2010年4月、「天龍プロジェクト」を設立する。

2015年8月、新日本プロレスG1クライマックスのリングに登場し、オカダカズチカを引退試合の相手に指名する。

2015年11月15日、オカダカズチカとの引退試合がプロレス大賞ベストバウト賞になる。

 

 

天龍源一郎のタイトル獲得歴

三冠ヘビー級王座
世界タッグ王座
アジアタッグ王座
PWFヘビー級王座
UNヘビー級王座
インターナショナルタッグ王座
PWF世界タッグ王座
チャンピオンカーニバル優勝(2001年)
IWGPヘビー級王座
IWGPタッグ王座
日本J1王座
世界6人タッグ王座
ハッスルスーパータッグ王座
WMGタッグ
世界6人タッグ王座
NWAミッドアトランティックタッグ王座
NWA世界6人タッグ王座

ゆかりのひと


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