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チョウシュウリキ・・長州力・・特徴「一度離れて戻るのが好き」


▼山口県出身
▼1951年12月3日生
▼184cm120kg
▼専修大学→新日本→全日本(ジャパンプロレス)→新日本→WJ→新日本(リキプロ)→フリー


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長州力の略歴

中学生時代に柔道で頭角を現し、高校には特待生として進学し、長崎国体でレスリング・フリースタイルで優勝する。その後、専修大学に特待生として進学する。

1971年、全日本学生選手権グレコローマン90kg級で優勝する。

ミュンヘンオリンピックに出場

1972年、韓国国籍であったことからオリンピック日本代表になれなかったが、在日大韓体育会の協力などにより韓国レスリング代表となり、ミュンヘンオリンピックに出場する。 

1973年、全日本選手権フリースタイルとグレコローマン100kg級で優勝する。

新日本プロレスからプロレスデビュー

1974年、テレビ朝日関係者の仲介で新日本プロレスに入団する。

1974年8月8日、プロレスデビューする。その後、リングネームが「長州力」となる。(公募で集まった候補が参考とされたが最終的にはアントニオ猪木が決めたらしい)

1979年、坂口征二と組み、北米タッグ王座を獲得する。 1982年7月、UWA世界ヘビー級王座を獲得する。

「かませ犬発言」「名勝負数え歌」が大ヒット

1982年10月8日・後楽園ホール、6人タッグマッチ 「アントニオ猪木・藤波辰巳・長州力 vs アブドーラザブッチャー・バッドニュースアレン、SDジョーンズ」の試合中、長州力は藤波辰爾に対して「なんで俺がお前より先に入場し、お前より先にコールされるんだ」と不満を表し、味方であるはずの藤波にかみつき、試合はぎくしゃくしたものとなった。

この後、長州力の発言の趣意から「俺はお前のかませ犬じゃないぞ」という文字がマスコミに踊り、テレビ朝日の古舘アナウンサーが頻繁にとりあげた。

長州のブレイクの前は、明らかに藤波のほうが上だった

当時は、藤波辰爾(当時:藤波辰巳)はWWFインターナショナル・ヘビー級王者 であり、長州力はUWA世界ヘビー級王者であったが、2人の対戦成績は藤波の6勝0敗であり、人気実力ともに明らかに藤波が上であった。年齢は藤波が2歳若いが、藤波のほうが3年先輩である。

長州力は、この発言をきっかけに、アントニオ猪木の次のエースの座を藤波と争うような存在にのしあがった。藤波辰爾との闘いは「名勝負数え歌」といわれ、古舘アナウンサーの名調子で大ヒット作となった。

WWFインターナショナル・ヘビー級王座を獲得

1983年4月3日、藤波辰爾に勝利し、WWFインターナショナル・ヘビー級王座を獲得する。「俺の人生にも一度くらいこんなことがあってもいいだろう」とコメントした。

「維新軍」で旋風を巻き起こす

1982年頃から、新日本プロレスに対し反体制の軍団「革命軍」を結成し、徐々にメンバーを増やし、後に「維新軍」となった。メンバーは、長州力、マサ斎藤、キラーカーン、アニマル浜口、寺西勇、小林邦昭、谷津嘉章、タイガー戸口、栗栖正伸、永源遥、保永昇男、新倉史祐、中野信市らであった。

新日本プロレス離脱(1回目)ジャパンプロレス設立・全日本プロレスに出場

1983年、アントニオ猪木が新日本プロレスの資金をブラジルの事業に流用していることに不満を持つ、新日本プロレス営業部の人を中心に、興行会社「新日本プロレス興行」が設立された。会社名に「新日本プロレス」の名が入っているが、新日本プロレスから独立した会社であり、どの団体の興行も請け負う方針であった。

1984年、新日本プロレス興行は、全日本プロレスの興行を請負い、新日本プロレスから13名の「維新軍」を引き抜いた。

1984年10月、長州の個人事務所「リキプロダクション」と「新日本プロレス興行」が合併し「ジャパンプロレス」となった。

「ハイスパートレスリング」で全日本プロレスに影響を与える

1984年から、ジャパンプロレスの選手は全日本プロレスに出場するようになった。全日本プロレスの従来のスタイルは「受けて勝つ」というアメリカンスタイルであったが、長州力のさっさと蹴散らすような「ハイスパートレスリング」は、全日本プロレスの選手に多大な影響を与えたといってよい。

特に天龍源一郎は、長州のファイトスタイルに感銘を受け、闘争心を出して戦うスタイルに変わり、全日本のトップレスラーにのしあがった。しかし、ジャイアント馬場はハイスパートレスリングを「シャムネコの喧嘩」と言い、評価していなかった。

長州力が新日本プロレスに戻ってから久しぶりに対戦した選手によると、長州力も全日本プロレスから影響を受けており、相手の技を受けることが多くなったという。

ジャンボ鶴田との名勝負

1985年、ジャンボ鶴田とのシングルマッチを行い、60分時間切れ引き分けとなる。この試合はベストバウトを獲得する。この試合について長州力は「あの試合はしんどかったね」「結果的に60分ドローだったけど、明らかに俺の方がバテてたよね」と正直に鶴田の強さを認める発言をしている。


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ジャパンプロレス分裂・全日本プロレスを離脱

1987年3月、長州力は全日本プロレスとの契約解除を表明した。ジャイアント馬場は、一方的な契約解除と試合欠場に対して激怒した。ジャパンプロレスは分裂し、長州力は新日本に戻った。ジャパンプロレスの選手たちは、長州力とともに新日本プロレスに戻った選手、全日本プロレスに残った選手、引退した選手がいた。

新日本プロレスに出戻り(1回目)

長州力は新日本プロレスに戻り、前のように中心選手として試合に出場した。

1987年11月19日、長州軍 vs UWF軍の6人タッグマッチで、長州力に対し前田日明が顔面へのキックで眼窩底骨折させる事件が起き、前田日明が新日本プロレスを解雇される。前田はこれをきっかけに新UWFを設立する。

アントニオ猪木から勝利・新日本プロレスのトップとなる

1988年7月、アントニオ猪木からフォール勝ちを奪い、新日本プロレスのトップに立った。また、現場監督として新日本プロレスを仕切る立場となった。

1995年、UWFインターナショナルとの抗争を開始する。特に10月9日・東京ドームにおけるUWFとの対抗戦では、UWF対する優位を決定づけた。

引退(1回目)

1998年1月4日、東京ドーム大会で引退する。引退試合は、5人掛けであった。

現役復帰

引退後も新日本プロレスに残り、現場監督として仕切っていた。

2000年7月、大仁田厚のしつこい挑発に乗り、現役復帰する。大仁田厚と電流爆破マッチによるシングルマッチが行われ、長州力は一度も爆破を受けず、一方的に大仁田を打ちのめして勝利した。長州力は「試合には勝ったが、ある意味俺の負けだな」と述べた。

新日本プロレス離脱・新団体旗揚げ

2002年2月、武藤敬司、小島聡、ケンドーカシンが新日本プロレスを離脱したことに対する責任を取らされた。

2002年5月、新日本プロレスを離脱する。

2003年3月、新団体WJプロレスを旗揚げする。その後、短期間で崩壊する。

新日本プロレスに出戻り(2回目)

2004年、新日本プロレスに復帰する。リキプロ所属のままで現場監督を担当した。

長州小力のブレイクでテレビ出演が増加

2005年、長州力の物まねタレント長州小力のブレイクにより、本人の長州力のテレビ出演が増える。

滑舌が悪いキャラでテレビ出演が増える

2012年大晦日放送、ダウンタウンの「絶対に笑ってはいけない~」シリーズに出演した。天龍源一郎とともに滑舌の悪い教師役で出演した。その他、滑舌が悪いキャラで、バラエティやCMに多数出演している。


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長州力の特徴

長州力は「一度離れて戻る」

長州力は、一度離れたところに戻るのには抵抗がないようである。

1974年、新日本プロレスに入団
1984年、新日本プロレスを離脱(1回目)
1984年、全日本プロレスに移籍
1987年、新日本プロレスに出戻り(1回目)
1998年、引退(1回目)
2002年、新日本プロレスを離脱(2回目)
2003年、WJプロレス旗揚げしたが短期間で崩壊
2004年、新日本プロレスに出戻り(2回目)
2015年、妻と離婚
2017年、前の妻と復縁

数々の名言

長州力は、1982年の「かませ犬」発言で大ブレークして以来、数々の名言を残している。マスコミのほうも、「長州力は名言を生み出す人」という期待から、長州力の発言に注目していた。

1982年「俺はお前のかませ犬じゃない」
1995年「キレちゃいないよ」
1995年「俺からタックルとったら1本でいいよ」
1999年「それがお前のやりかたか」
2000年「またぐなよ」
2003年「ナニコラ、タココラ・・・」


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長州力が獲得したタイトル

G1 CLIMAX優勝(1996年)
SG TAG LEAGUE優勝(1992年)
IWGPヘビー級王座
IWGPタッグ王座
PWFヘビー級王座
WWFインターナショナルヘビー級王座
グレーテスト18クラブ王座
インターナショナルタッグ王座
NWA北米タッグ王座
UWA世界ヘビー級王座
UWA世界タッグ王座
WMGタッグ王座


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