「かませ犬発言」の前は、長州力のランクは5番手ぐらいであった
長州力(当時:吉田光男)は、アマレスでミュンヘンオリンピックに出場し、1974年に新日本プロレスからデビューした。
ライバル団体である全日本プロレスに入団した鶴田友美は、長州力と同様、アマレスでミュンヘンオリンピックに出場し、ジャイアント馬場の次のエースと期待されていた。
その後、リングネームは、当時の話題だった大型旅客機「ジャンボジェット」から名前をとり「ジャンボ鶴田」となった。
吉田光男のリングネームは、山口県出身ということで「長州力」となった。
後年、長州力は「はっきり言って、ジャンボ鶴田という名前がカッコよくて羨ましかった」と述懐している。
デビューから数年後、海外遠征が多くなり、坂口征二と組み北米タッグ王座を獲得し、メキシコでUWA世界ヘビー級王座を獲得して凱旋帰国したものの、トップにアントニオ猪木と坂口征二がおり、同世代のレスラーでは藤波辰爾(当時:藤波辰巳)と木村健吾の人気が高く、長州力のランクは5番手ぐらいであった。
「かませ犬発言」
1982年10月8日・後楽園ホール、6人タッグマッチ 「アントニオ猪木・藤波辰巳・長州力 vs アブドーラザブッチャー・バッドニュースアレン、SDジョーンズ」の試合中、長州力は藤波辰爾に対して「なんで俺がお前より先に入場し、お前より先にコールされるんだ」と不満を表し、味方であるはずの藤波にかみつき、試合はぎくしゃくしたものとなった。
この後、長州力の発言の趣意から
「俺はお前のかませ犬じゃないぞ」
という文字がマスコミに踊り、テレビ朝日「ワールドプロレスリング」でプロレス実況を担当していた古舘アナウンサーが頻繁にとりあげた。
▲古舘伊知郎アナウンサー
長州は格上の藤波にかみつくことにより一気に上昇した
当時は、藤波辰爾(当時:藤波辰巳)はWWFインターナショナル・ヘビー級王者 であり、長州力はUWA世界ヘビー級王者であったが、2人の対戦成績は藤波の6勝0敗であり、人気実力ともに明らかに藤波が上であった。年齢は藤波が2歳若いが、藤波のほうが3年先輩である。
「名勝負数え歌」で不動の人気を得た
長州力は、この発言をきっかけに、アントニオ猪木の次のエースの座を藤波と争うような存在にのしあがった。藤波辰爾との闘いは「名勝負数え歌」といわれ、古舘アナウンサーの名調子で大ヒット作となった。
チョウシュウリキ[長州力]・・特徴「一度離れて戻るのが好き」・・
◆山口県出身 ◆1951年12月3日生 ◆184cm120kg ◆専修大学→新日本→全日本(ジャパンプロレス)→新日本→WJ→新日本(リキプロ)→フリー ...