子供のころは夏休みが来ると嬉しかったが、宿題の「読書感想文」だけは嫌で嫌で仕方なかった。最近のテレビを見ていると仕方なく書いていた「読書感想文」を思い出す。特に「秘密の○○SHOW」は顕著である。
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最近のテレビを見ていると、嫌で嫌で仕方なかった「読書感想文」を思い出す
- こどものころは夏休みが楽しみだったが唯一の苦痛が「読書感想文」であった
- 「読書感想文」は嫌で嫌で苦痛であった。これさえなければ夏休みがもっと楽しいのにと思っていた。
- 作品を読み味わうことはせず「原稿用紙を埋める作業」だけをし「極限的に中身が薄い文章」を書いた。苦痛な作業であった。
- 味気無いものを薄く薄くのばし所定の枠にはめる
- 読書感想文が無意味だと言いたいわけではない
- 最近のつまらないテレビを見ていると「読書感想文」「原稿用紙を埋める作業」「極限的に中身が薄い文章」を思い出す。
- 食べ物をほめまくる番組=のばしてのばしてのばして、薄く薄く薄く
- 素人の私生活のなんだかんだを芸能人が見て感想を言う番組=「味気無いものを薄く薄くのばし所定の枠にはめる」
- 素人の様を、素人が取材し、タレントが感想を言い、それを視聴者が見る→視聴者に何をどうしてほしいのか。
こどものころは夏休みが楽しみだったが唯一の苦痛が「読書感想文」であった
小学生から中学生にかけてのころは夏休みが来るとうれしかった。宿題がたくさんあったが、頑張れば夏休みの前半で終わらせることができる量だったので苦痛ではなかった。自由工作はあれこれ考えるだけで楽しかった。
ひとつだけ嫌で嫌で仕方がなかったことがあった。それは「読書感想文」であった。
「読書感想文」は嫌で嫌で苦痛であった。これさえなければ夏休みがもっと楽しいのにと思っていた。
とにかく「読書感想文」が嫌で嫌で仕方がなかった。読みたくもない本を無理やり読まされるだけでも苦痛であった。さらに、その感想を原稿用紙3枚程度に書かなければならなかった。
本当に苦痛であった。これさえなければ夏休みがもっと楽しいのにと思っていた。
作品を読み味わうことはせず「原稿用紙を埋める作業」だけをし「極限的に中身が薄い文章」を書いた。苦痛な作業であった。
「読書感想文」を終わらせるため、与えられた本の最初と最後だけ読み、登場人物やあらすじがだいたい判ると、「原稿用紙を埋める作業」に専念した。
概要の説明をザーッと書き、なるべく文章を長くし、何度も改行して行数を稼いだ。似たような内容の繰り返しになってしまっても構わず書き進めた。
作品を読み味わうことはしていないので、「感想」があるわけがない。とにかく「原稿用紙を埋める作業」を行い、とにかく文字の羅列をだらだらと書き進め、「極限的に中身が薄い文章」で所定の量を文字で埋めた。
味気無いものを薄く薄くのばし所定の枠にはめる
記憶では、「読書感想文」は原稿用紙3枚に書くことになっていた。3枚目までびっしり書いても3枚、3枚目の最初で終わっても3枚であると解釈し、3枚目の最初の2行目に到達すると完了としていた。原稿用紙3枚=足かけ3枚であった。
味気無いものを薄く薄くのばし原稿用紙3枚に記載した。
読書感想文が無意味だと言いたいわけではない
私は「読書感想文」が嫌いで苦手だったと言っているのであって、「読書感想文」が無意味であると言いたいのではない。先生が薦める有名な作品をじっくり読み味わい、感じたことを自分の言葉で表現することは、大人になってから必ず役に立つはずである。
しかし私はどうしてもそれを好きになれなかった。私は「読書感想文」は苦手であった。
最近のつまらないテレビを見ていると「読書感想文」「原稿用紙を埋める作業」「極限的に中身が薄い文章」を思い出す。
最近のテレビを見ていると、こどものころにイヤイヤ書いていた「読書感想文」を思い出す。その理由は、「原稿用紙を埋める作業」を行って出来上がった「極限的に中身が薄い文章」を見せられているように感じるからである。
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「秘密の○○SHOW」など最近のテレビを見て「読書感想文」を思い出す理由
食べ物をほめまくる番組=のばしてのばしてのばして、薄く薄く薄く
「秘密の○○SHOW」では、たったひとつの食材を紹介するのに30分間も使う。大勢のタレントが、ひとつの食材に関するコメントを、順番にひとりずつ述べていく。
▼この食材が美味しいことを数人が順に説明する。
▼自分は昔食べたことがあるか無いか、隣の県にいたけど聞いたことが無かった、遠くの県にいた人は初めて聞いて驚いたという感想を数人が述べる。
▼全員でひとりひとりが実食して感想を述べる。
▼誰かが完食すると器の内側をカメラに向け「確かに完食してますよね」という確認作業を行う。
たったひとつのものを、のばしてのばしてのばして、薄く薄く薄く、所定の時間枠にあてはめる。
素人の私生活のなんだかんだを芸能人が見て感想を言う番組=「味気無いものを薄く薄くのばし所定の枠にはめる」
素人の私生活をスタッフが聞きに行き、その取材の過程を長々と流し、素人が私生活で苦労した話などをスタッフが聞きだすまで長々と流す。それをスタジオに大勢いるタレントが見て感想を言う。これはまさに、「味気無いものを薄く薄くのばし所定の枠にはめる」という作業ではないか。
素人の様を、素人が取材し、タレントが感想を言い、それを視聴者が見る→視聴者に何をどうしてほしいのか。
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