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カールゴッチ「いかなる格闘技でも、もっとも恐ろしいのは関節技なのだ」

■カールゴッチは日本のプロレス技術体系の確立に貢献

カールゴッチは、日本にジャーマンスープレックスをもたらし、様々なプロレス技術を日本に伝えた「プロレスの神様」である。

カールゴッチは、レスリング選手時代は、ベルギー王座7回獲得、1948年のロンドンオリンピック出場という輝かしい実績があった。

プロレスラーになってからは、レスリングのスープレックス(後ろに反りながら投げる技)を応用し、ジャーマンスープレックスをプロレス技として開発した。 


▲カールゴッチ

カールゴッチは、ショー的要素を嫌い、相手に効果的なダメージを与えることに集中して試合を行い、対戦相手にも嫌われていた。
そのため、アメリカでは陰の実力者のような存在であり、なかなか人気が上がらなかった。

日本の技術体系に大きな影響を与えた

日本では、力道山が創設した日本プロレス、アントニオ猪木が創設した新日本プロレス、90年代に次々と創設された格闘技系団体の技術体系に大きな影響を与えた。

90年代以降の総合格闘技では打撃技が大きな力を持ち、プロレスでは高度な技の攻防が行われ、カールゴッチの技術体系はすべてに通じるかは議論が分かれる。

しかし、日本で発展したプロレス技術の源流を語るとき、カールゴッチを抜きにして語ることはできない。

新日本プロレスの技術体系の源流は完全にカールゴッチである

特に新日本プロレスは、ライバル団体・全日本プロレスとの対比を明確にする「ストロングスタイル」を標榜したが、その源流は完全にカールゴッチである。

あらゆる格闘技に精通し、レスリングを追求し続けたカールゴッチが語った言葉がこの言葉である。

実力が接近したどうしの闘いでは、相手の両肩を3秒間マットに押さえてフォールを取ることは本来、かなり困難な作業なんだ。
ショー的要素をはぶいた試合では、どちらか先にサブミッション(関節技)を決めたほうの勝ちだ。
日本の重量級柔道でも、きれいに一本を取るのがむずかしいから襟元を取ってサブミッションを使うだろ。
いかなる格闘技でも、もっとも恐ろしいのは関節技なのだ。

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