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アンドレ・ザ・ジャイアント(1946-1993)

▼フランス出身
▼1946年5月19日
▼223cm236kg
▼フランス→カナダ→WWWF~新日本→全日本

 

アンドレ・ザ・ジャイアントの略歴

1964年、フランスでプロレスデビューする。

1970年、国際プロレスに参戦する。

1971年、カナダで活動する。

1973年、WWWFを主戦場とするが、AWA、NWA、新日本プロレスなどにも参戦する。

1976年10月、アントニオ猪木と「格闘技世界一決定戦」で対戦する。

新日本プロレスでは「人間山脈」「一人民族大移動」「歩くガリバー旅行記」

新日本プロレス参戦時は、実況の古舘アナウンサーが「人間山脈」「一人民族大移動」「歩くガリバー旅行記」とアンドレを形容した。その他、「一人というには大きすぎる。二人といったら世界人口の辻褄が合わない」という表現もされている。

スタンハンセンと伝説の試合

1981年9月23日、田園コロシアムでスタン・ハンセンとシングルマッチで対戦する。この試合は伝説の試合として語り継がれるようになる。

ジャイアントマシンに変身

1985年、KYワカマツをマネージャーとし、覆面レスラー「ジャイアントマシーン」に変身した。体格から見て誰がやっているかは一目でわかったが、実況アナは「ジャイアントマシーンはいったい誰なのか?」と言うのが定番だった。

1990年4月、東京ドームで開催された日米レスリングサミットで、ジャイアント馬場と組み、「大巨人コンビ」を結成する。

全日本プロレスに参戦

1990年9月、全日本プロレスに参戦し、ジャイアント馬場と組み、世界最強タッグ決定リーグ戦に出場する。

1992年、ジャイアント馬場、ラッシャー木村と組み、「ファミリー軍団」に加入し、永源遥、渕正信、大熊元司の「悪役商会」と対決する。

1992年10月、全日本プロレス二十周年記念試合で、6人タッグながらハンセンと再び対決した。

急性心不全で死去

1993年1月27日、アンドレは父親の葬儀のためフランスに帰国していたが、パリのホテル内で急性心不全で死去した。46歳であった。

アンドレを投げた日本人は3人しかいなかった

アンドレをボディスラムで投げることに成功したのは、アントニオ猪木、長州力、ストロング小林の3人しかいなかった。外国人では、ハルク・ホーガン、スタン・ハンセン、ハーリー・レイス、ローラン・ボック、カネック、ブラックジャック・マリガンなどが成功している。(ちなみにカールゴッチはアンドレをジャーマンスープレックスで投げている)

アンドレザジャイアントが獲得したタイトル

IWA世界タッグ王座
NWA豪亜タッグ王座
NWA USタッグ王座
NWAフロリダ・タッグ王座
WWF世界ヘビー級王座
WWF世界タッグ王座
WWF Hall of Fame(1993年度)

 


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