■エリオグレーシー‥
◆ブラジル出身
◆1913年10月1日生
◆170cm65kg
▼グレーシー道場
前田光世が柔術でブラジルで英雄となる
1910年代頃から、青森県出身の日本人・前田光世は、ブラジルの地で異種格闘技戦を行い、柔術を駆使して連戦連勝であり英雄となっていた。
グレイシー柔術が確立
前田は、ガスタオン・グレイシーから頼まれ、エリオを含む5人の息子に柔術の技術と精神について指導した。その後、前田から伝えられた柔術の技術を基にグレイシー柔術の技術体系が確立された。
エリオは、1930年代頃から約20年間勝ち続け、ブラジルで英雄となった。
最強の柔道家・木村政彦と対戦・木村から称賛される。
1951年10月23日、ブラジル・リオデジャネイロのマラカナン・スタジアムで3万人の観衆の中、日本からやってきた最強の柔道家・木村政彦と対戦した。試合では、キムラロックで腕をとられ、セコンドの兄カ―ロスからのタオル投入により敗戦した。
エリオはキムラロックを極められ意識が朦朧とし腕が外れているような状況だったが、自分からはギブアップしなかった。これについて木村は「何という闘魂の持ち主であろう。腕が折れ、骨が砕けても闘う。試合には勝ったが、勝負への執念は…私の完敗であった」とエリオを称えた。
1956年頃まで、選手として試合したが、その後は引退し後進の指導にあたった。
グレイシー戦士を育てる
エリオは、長男ホリオン・グレイシー、次男ヘウソン・グレイシー、三男ヒクソン・グレイシー、四男ホウケル・グレイシー、五男ホイラー・グレイシー、六男ホイス・グレイシー、七男ホビン・グレイシーとたくさんの男子をもうけ、数々のグレイシー戦士を育てた。
特に、ヒクソン・グレイシー、ホイラー・グレイシー、ホイス・グレイシーは、1990年代後半から2000年前半に総合格闘技ブームとなった日本で有名となった。
エリオグレイシーは桜庭を認めた
2000年5月、PRIDEで「ホイス・グレイシー vs 桜庭和志」が行われた際には、グレイシー側のサポート役として来日した。
桜庭のトリッキーな動きにホイスが翻弄される場面では、「こいつやりおるな」という顔を見せた。
試合後、自分の息子を負かした桜庭が握手を求めてきたときも快く応じ、桜庭に敵意を持つような表情をしなかった。
グレイシー側のセコンドが「何でグラウンドで勝負にこないのか」などと文句を言うと、エリオは「試合なんだからそんなことをいうな。勝った勝者を称えろ。」という主旨の言葉を言い、息子たちをなだめたという。