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サイトウアキトシ・・斎藤彰俊

▼宮城県仙台市出身
▼8月8日生
▼170cm120kg
▼中京大学→FMW→W★ING→新日本→NOAH

 


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斎藤彰俊の略歴

公務員から格闘家に転向しプロレスデビュー

中京大学時代は、水泳でインターハイ、インカレ、国体、日本選手権で優勝し、ユニバーシアード、パンパシフィックの日本代表となりオリンピックの強化選手になった。

大学卒業後に公務員となったが、格闘家に転向する。

1989年、FMWの旗揚げ戦で空手家として試合を行う。

1990年12月、FMWの大会でプロレスデビューする。

W★INGで「格闘3兄弟」

1991年8月、W★INGの旗揚げ戦に参加する。徳田光輝、木村浩一郎とともに「格闘3兄弟」として活躍する。

新日本プロレスに宣戦布告・虎ハンターに勝ち週プロ表紙

1992年1月4日、新日本プロレス・東京ドーム大会で、誠心会館の空手家たちとともに新日本プロレスに宣戦布告した。小林邦昭に勝利し、週刊プロレスの表紙を飾る。その後、新日本プロレスの反選手会同盟(平成維新軍)の一員として活躍する。

NOAHに参戦・スターネスに加入

2000年、新団体NOAHに参戦し、秋山準率いる「スターネス」に加入する。

2002年9月、秋山準と組み、GHCタッグ王座を獲得する。

2004年7月、井上雅央、杉浦貴とともに「ダーク・エージェント」を結成する。

2008年、バイソン・スミスと組み、グローバル・タッグ・リーグ戦で優勝する。

三沢光晴の事故死・批判から逃げず現役続行「自分に言うことで気持ちが晴れるなら全部受ける。逃げることはしない」

2009年6月、タッグマッチで三沢光晴にバックドロップをした後、三沢が意識不明・心肺停止状態に陥り死亡する事態となる。その後、悩んだ末に「どんな重い十字架でも背負う。リングに上がり続けることが社長への恩返し」として現役を続行している。

斎藤のバックドロップは通常の技であり「齋藤は悪くない」という意見が大半だったが、一部から中傷を受けた。齋藤は「自分に言うことで気持ちが晴れるなら全部受ける。逃げることはしない」と述べた。

2011年、秋山準と組み、グローバル・タッグ・リーグ戦で優勝する。

2012年1月、秋山準と組み、GHCタッグ王座を獲得する。

2012年10月、潮崎豪と組み、GHCタッグ王座を獲得する。

2014年6月、三沢光晴メモリアルナイトに出場する。

斎藤彰俊が獲得したタイトル

GHCタッグ王座
グローバル・タッグ・リーグ戦優勝(2008年、2011年)

 


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