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1982.10.08-長州力の「かませ犬発言」からの大ムーブメント

▼「かませ犬発言」により長州力が大ブレイクし、団体を超えた大ムーブメントを起こした。これをきっかけに長州力は強大な力を持つこととなった。


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長州力「俺はお前のかませ犬じゃないぞ」

「かませ犬発言」の前の状況

長州力は1974年に新日本プロレスからデビューし、坂口征二と組み北米タッグ王座を獲得し、メキシコでUWA世界ヘビー級王座を獲得して凱旋帰国したものの、トップにアントニオ猪木と坂口征二がおり、同世代のレスラーでは藤波辰爾(当時:藤波辰巳)と木村健吾の人気が高く、長州力のランクは5番手ぐらいであった。

「かませ犬発言」

1982年10月8日・後楽園ホール、6人タッグマッチ 「アントニオ猪木・藤波辰巳・長州力 vs アブドーラザブッチャー・バッドニュースアレン、SDジョーンズ」の試合中、長州力は藤波辰爾に対して「なんで俺がお前より先に入場し、お前より先にコールされるんだ」と不満を表し、味方であるはずの藤波にかみつき、試合はぎくしゃくしたものとなった。

この後、長州力の発言の趣意から

「俺はお前のかませ犬じゃないぞ」

という文字がマスコミに踊り、テレビ朝日「ワールドプロレスリング」でプロレス実況を担当していた古舘アナウンサーが頻繁にとりあげた。


▲古舘伊知郎アナウンサー

長州は格上の藤波にかみつくことにより一気に上昇した

当時は、藤波辰爾(当時:藤波辰巳)はWWFインターナショナル・ヘビー級王者 であり、長州力はUWA世界ヘビー級王者であったが、2人の対戦成績は藤波の6勝0敗であり、人気実力ともに明らかに藤波が上であった。年齢は藤波が2歳若いが、藤波のほうが3年先輩である。

「名勝負数え歌」で不動の人気を得た

長州力は、この発言をきっかけに、アントニオ猪木の次のエースの座を藤波と争うような存在にのしあがった。藤波辰爾との闘いは「名勝負数え歌」といわれ、古舘アナウンサーの名調子で大ヒット作となった。

1983年4月3日、長州力は藤波辰爾に勝利し、WWFインターナショナル・ヘビー級王座を獲得する。試合後、長州は「俺の人生にも一度くらいこんなことがあってもいいだろう」とコメントした。

維新軍結成→全日本に移籍→新日本に戻りトップとなる→大嫌いなUWFを潰す

1982年頃から、新日本プロレスに対し反体制の軍団「革命軍」を結成し、徐々にメンバーを増やし、後に「維新軍」となった。十数名のメンバーで構成された維新軍は、1984年、軍団ごと全日本プロレスに移り、スタイルが違う全日本プロレスの選手とぶつかりあった。

1987年、長州力は一方的に全日本プロレスとの契約を解除し、新日本プロレスに戻った。維新軍のメンバーは、長州とともに新日本プロレスに移った者、全日本プロレスに残った者、この機会に引退したものがいた。

1988年、長州力はアントニオ猪木にシングルマッチで勝利し、完全に新日本プロレスのトップとなり、現場監督として新日本プロレスを仕切る立場となった。1995年、「新日本プロレス vs UWFインターナショナル」では、選手として強さを発揮するとともに現場監督として興行を仕切った。試合と自身の数々の発言により、新日本プロレスの優位性を印象づけ、大嫌いなUWFインターを数年後に消滅させた。


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