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1997-蝶野正洋「nWoジャパン」が大ヒット

▼蝶野正洋のイメージチェンジ・アイデア・行動力が大ヒット作を産み出した。


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蝶野正洋「nWoジャパン」が大ヒット

蝶野正洋が新日本プロレスからデビューしトップレスラーとなる。

蝶野正洋は1984年に新日本プロレスからデビューし、その後、主にヨーロッパでプロレス修業した。1988年頃から新日本プロレスが主戦場となり、武藤敬司、橋本真也とともに「闘魂三銃士」を結成し、主力レスラーの一人となった。

1991年から新日本プロレスの大ヒットイベントとなり夏の定番となった「G1クライマックス」で何度も優勝(通算5回)し、「夏男」と呼ばれトップレスラーに登りつめた。


▲闘魂三銃士(左から蝶野正洋、橋本真也、武藤敬司)

 

蝶野正洋が白から黒にイメージチェンジ

蝶野正洋は、トップレスラーであり、G1優勝などの数々の称号を得ていたが、コスチュームが白いロングタイツであり、決め技がSTFという地味な技であり、地味なレスラーというイメージであった。プロレス実況アナウンサーが蝶野を称した「ホワイトバタフライ」という呼称もイマイチであった。

1994年、蝶野正洋は、白から黒にイメージチェンジし、ヒロ斎藤、天山広吉と「狼軍団」を結成し、反則をまじえた攻撃でチームを圧倒し、完全にヒールとしての地位を確立した。


▲イメージチェンジした蝶野正洋

 

nWoジャパンが大ヒット

1996年、アメリカのWCWで大ヒットした軍団「nWo」に加入した後、1997年、スコット・ノートン、ヒロ斎藤、天山広吉とともに、日本で「nWoジャパン」を結成した。その後、新日本プロレス本隊のエース的存在である武藤敬司を「nWoジャパン」に加入させるため、あの手この手で勧誘し、ついに武藤敬司とその化身であるグレート・ムタを仲間に引き入れた。「nWoジャパン」は新日本プロレスで大ブームとなり、プロレス界のみならず、一般世間でも話題となった。


▲nWoジャパン(ヒロ斎藤、蝶野正洋、武藤敬司、天山広吉)

プロレス以外で「nWoジャパン」に加入した人は、三浦大輔、鈴木尚典、山本昌、山崎武司、前田幸長、中山雅史、岡野雅行、千代大海、草彅剛など多数いる。


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