略歴
1948年12月6日、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(湯沢市秋ノ宮)のイチゴ農家の長男として生まれる。
1967年頃、高校卒業後上京し、朝と夜のアルバイトをしながら生活する。
1969年頃、上京から2年後に法政大学に入学する。
1973年、建電設備株式会社(ケーネス)に入社する。
政治家を志す
1975年、自民党衆議院議員・小此木彦三郎の秘書となり、以後11年務める。
1983年、小此木の通産大臣就任に伴い、大臣秘書官となる。
1987年、神奈川県・横浜市の市会議員となり、2期務める。横浜市に対する小此木の影響力を引き継ぎ、「影の横浜市長」と呼ばれる存在となる。
国会議員となる
1996年、神奈川2区から自民党公認で衆議院議員選挙に出馬し初当選する。
1998年、梶山静六を師と仰いでおり、所属していた小渕恵三の平成研究会を脱退し、宅地会に入会した。
2000年、森内閣に対する反乱の動き「加藤の乱」に同調し、森内閣不信任決議案採決を欠席するが、その後、反加藤グループの堀内派に参加する。
閣僚となる
2006年9月、自民党総裁選挙の際は、安倍晋三を支援し当選させた。
2006年9月、安倍内閣で総務大臣となる。NHK短波ラジオ国際放送の放送事項に「拉致問題」を加える方針を示す。
2009年、宅地会を退会する。
2012年、郵政民営化法改正案の採決で、自民党の方針に反して反対した。
2012年、安倍晋三を再び自民党総裁に返り咲きに貢献する。
内閣官房長官から総理となる
2012年12月、自民党が民主党から政権を奪還し、安倍政権では内閣官房長官となる。
2020年9月、安倍晋三首相の辞職に伴う自民党総裁選挙で勝利し自民党総裁となり、内閣総理大臣に指名される。
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