略歴
1967年11月28日生まれ、台湾人の父と日本人の母を持ち、東京都で生まれる。
青山大学在学中の1988年には「クラリオンガール」に選ばれ、芸能活動を始める。
日本テレビ「スーパージョッキー」のアシスタントなどにより有名になる。
1992年、報道番組に出るようになり、TBS「3時に会いましょう」「スーパーワイド」に出演する。
1993年4月、テレビ朝日「ステーションEYE」のメインキャスターとなる。
1993年8月、番組スタッフと結婚する。
1995年、北京大学に留学する。
1997年、双子を出産する。
政治家になる
2004年7月、参議院議員選挙で民主党公認の東京都選挙区からの候補者として出馬し当選する。
マニフェストを「ママフェスト」と称し、少子化対策の強化などを主張した。
民主党政権で事業仕分け「2位じゃダメなんでしょうか?」3年後に民主党が議席数第2位となり野党に転落
2009年10月、民主党政権で事業仕分けを担当した。
2009年11月、文科省の事業仕分けの際に、「次世代スーパーコンピューター開発」の予算削減を決定する。
「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」と発言し、話題となる。
これから約3年後の2012年12月、衆議院議員選挙で民主党は大敗を喫し、民主党は議席数第2位となり下野する。
民進党代表を務める
2016年3月、民主党と維新の党が合流して結成された「民進党」に参加する。
2016年9月、民進党代表選挙に出馬して当選し、民進党代表となる。
代表としては、「共産党との選挙協力」「原発ゼロ推進」について議論したが、調整がうまくいかず民進党内部の反発に悩まされた。
2017年7月、「一旦退いて立ち止まって考えたい」という旨の説明を行い、民進党代表の辞任を表明した。
立憲民主党に移る
2017年12月、民進党から立憲民主党に移る。
理由は「政策を明確にしているから」と説明した。
2020年9月、立憲民主党と国民民主党が合流して結成された「立憲民主党」に参加し、党代表代行・国民運動・広報本部長となった。※新しい「立憲民主党」は代表選挙と同時に党名も選挙で選ばれた。
【出典】https://ja.wikipedia.org/wiki/