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カールゴッチ[カールゴッチ](1924-2007)ジャーマンスープレックスを日本にもたらした「プロレスの神様」・・


◆ベルギー出身
◆1924年8月3日
◆184cm110kg
◆ベルギー→カナダ→アメリカ→日本プロレス→国際・新日本・UWF・藤原組など多数の団体に助力

 


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レスリングでベルギー王座を7回獲得

レスリング・グレコローマンおよびフリースタイルでベルギー王座を7回ずつ獲得した。ロンドンオリンピック(1948年)のグレコローマンおよびフリースタイルレスリングにベルギー代表として出場した。

1950年、プロレスデビューする。

1951年、イギリスの"Snake Pit(蛇の穴)"ビリー・ライレージムでトレーニングし、ランカシャーレスリング(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)を習得する。

1959年、カナダで活動する。

1960年、アメリカで活動する。プロフィールではドイツ人ということになっていたため、カールゴッチが開発したスープレックスは"ジャーマンスープレックス"となった。

ジャーマンスープレックスを日本で初公開

1961年、来日し、吉村道明を相手にジャーマンスープレックスを日本で初公開する。

1963年から1964年ごろにかけて、NWA世界ヘビー級王座に9回挑戦するが、王座を獲得できず、無冠の帝王といわれた。

高いレスリング技術を日本選手に伝授する。

1968年、日本プロレスで日本の選手を指導する。アントニオ猪木に卍固めを伝授した。

1972年、アントニオ猪木が創立した新日本プロレスに選手・ブッカー・コーチとして助力する。

その他、国際プロレス、UWF、藤原組などで選手を指導し、有名なプロレスラーを多数輩出した。

2007年7月28日、82歳で死去した。

カールゴッチのレスリング技術の影響

▼ジャーマンスープレックスを日本にもたらす

ジャーマンスープレックスは、カールゴッチが開発し日本にもたらされた。ゴッチがアメリカ時代にドイツ人を名乗っていたため、「ジャーマン」という名がついた。


▲カールゴッチの見事なジャーマン

ブリッジをした美しいジャーマンにこだわりがあり、「投げっぱなしジャーマンは、ブリッジができない人のいいわけ」と言っていた。

▼ストロングスタイルを新日本プロレスにもたらす

新日本プロレスでアントニオ猪木が提唱した「ストロングスタイル」はカールゴッチの技術をとりいれ、多大な影響を受けている。

▼鈴木みのるの決め技の由来

鈴木みのるの決め技「カールゴッチ式パイルドライバー」はカールゴッチの影響を受けているが、はいりかたが若干違う。ゴッチは通常のパイルドライバーで持ち上げてから手を股クラッチに持ち替えるが、鈴木みのるの場合は最初から股をクラッチした形で持ち上げる。

▼レスリングへのこだわり

カールゴッチはキックボクシングのような打撃技には否定的であった。

また、カールゴッチの技術体系は、ロックアップから始まるプロレスを基本としているため、総合格闘技にはそぐわない面がある。

UWFから総合格闘技への技術体系が確立されていく過程で、当初はカールゴッチの技術がとりいれられたものの、総合格闘技が打撃中心に移行していくにつれて、カールゴッチの技術体系とは離れていると思われる。

カールゴッチから指導を受けたプロレスラーのうち、打撃技(キックボクシングのような打撃)に傾倒していったレスラーは、後年離れていき、グラウンド技を中心とするレスラーは後年までカールゴッチに師事したことを重要視し、発言にも表れている。

鈴木みのるは今でもゴッチからの教えをとりいれていると発言している。

▼柔術にも精通

否定的カールゴッチは、最強の柔道家・木村政彦と友人であり、柔道にも精通していた。

グレイシー柔術については、自分が知っているもの以上のものではないとしている。

グレイシー柔術の得意技である「ガードポジション」を「娼婦が客を受け入れる体勢」と表現し、評価しなかった。

カールゴッチが獲得したタイトル

NWAイースタン・ステーツ・ヘビー級王座
AWA世界ヘビー級王座(オハイオ版)
IWA世界ヘビー級王座
WWA世界タッグ王座
WWWF世界タッグ王座