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ケンドーカシン[ケンドーカシン](フリー)


■ケンドーカシン‥
◆青森県藤崎町(旧常盤村)出身
◆1968年8月5日生
◆181cm87kg
◆早稲田大→新日本→全日本→フリー




略歴

アマチュアレスリングでは輝かしい成績

光星学院高校時代、国体でレスリング少年の部フリースタイル70kg級で優勝する。

早稲田大学時代、全日本学生レスリング選手権3連覇を達成する。

1991年、早稲田大卒業後、新日本プロレスのレスリング部門である「闘魂クラブ」に入団する。

全日本選手権で優勝する。

 

新日本プロレスに入団・ヤングライオン杯で優勝

1992年4月、新日本プロレスに入団し、9月21日、プロレスデビューする。

1996年3月、ヤングライオン杯で優勝する。優勝賞金の小切手型ボードを半分に折り、片方を決勝で闘った永田裕志に渡し健闘をたたえた。

 

ヨーロッパ遠征・覆面レスラーとなる

1996年7月、ヨーロッパ遠征を行い、マスクマン「ケンドーカシン」となる。

1997年4月、帰国し、UWF出身の山崎一夫とシングルマッチを行い、派手なパフォーマンスをせず格闘技の技を中心とした試合を行うが、観客の評価は微妙な感じであった。

 

IWGPジュニアヘビー級王座を獲得

1999年1月、ドクトルワグナージュニアと組み、IWGPジュニアタッグ王座を獲得する。

1999年5月、ベストオブザスーパージュニアで優勝する。優勝賞金の一部を、紛争状態のコソボの人達に寄付した。

1999年8月、金本浩二に勝利し、IWGPジュニア王座を獲得する。トロフィーを破壊し、ベルトを足蹴にした。

 

総合格闘技に出場

2000年8月、総合格闘技「PRIDE10」に出場し、ハイアングレーシーにKOされる。

2000年12月、「イノキボンバイエ」に出場し、桜庭和志にコーナーポスト上での脇固めで敗れる。

2001年7月、ハイアングレーシーを膝蹴りでKOし雪辱を果たす。

2001年10月、新日本プロレス東京ドーム大会でIWGPジュニアヘビー級選手権に出場し、26秒で成瀬昌由に勝利しベルトを奪還する。試合後はベルトを投げ捨て、認定証を破りリングを立ち去った。

 

全日本プロレスに移籍

2002年2月、全日本プロレスに移籍する。

2004年6月、永田裕志と組み、世界タッグ王座を獲得する。

2004年7月、試合への無断欠場などの理由から解雇される。

 

フリーランスとして活動

2005年8月、G1クライマックスに出場し、川田利明に勝利する。

2006年、総合格闘技の試合に3試合出場し、3試合とも敗れる。

 

大学院生となる

2008年1月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程に合格する。大学院生になった理由として「プロレス界のためにスポーツマネジメントを学びたい」と語った。

 

東日本大震災で哀悼の意を示す

2011年3月11日、東日本大震災の発生について「東北の善良な人々が多数亡くなってしまった、悲しい……。これは東北のみならず日本の危機、残りの人生は東北の再建にささげたい」と語る。

 

WWEのコーチになる

2019年8月、WWEのコーチに就任する。

 

獲得したタイトル

IWGPジュニアヘビー級王座
IWGPジュニアタッグ王座
ヤングライオン杯争奪リーグ戦優勝(1996年)
BEST OF THE SUPER Jr.優勝(1999年)
世界ジュニアヘビー級王座
世界タッグ王座
DDT EXTREME級王座
CWA世界ジュニアヘビー級王座
EWPインターコンチネンタル王座

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