白村江の戦い
中国・挑戦の情勢
618年、中国では、隋が滅ぼされ、唐が建国された。
626年から即位した皇帝・太宗が、先進的な諸制度を整備し、中国史上でも最も繫栄したといわれる大国を築き上げた。(貞観の治)
朝鮮半島では、新羅が唐と友好関係にあり、高句麗と百済は協力して唐に対抗していた。
百済からの応援要請を承諾し唐・新羅と対立
660年、百済が唐と新羅の連合軍に滅ぼされた。
その後、倭国に滞在していた百済王・太子豊璋を王として、百済復興を目指し挙兵した軍勢から倭国に応援要請が来た。
当時の皇太子・中大兄皇子が救援要請を承諾したことにより、唐・新羅と対立することになった。
唐・新羅連合軍に敗退
661年、斉明天皇は自ら九州に出兵するが、遠征地で崩御した。
倭国軍は、661年5月、662年3月、663年の数回にわたり出兵するが、唐・新羅連合軍に敗れた。