■秋山準‥
▼大阪府大阪市出身
▼1969年10月9日生
▼188cm110kg
▼専修大学→全日本→NOAH→全日本→DDT
略歴
高校から専修大学時代までレスリングに励む。
1991年7月、全日本プロレス創設者ジャイアント馬場からスカウトを受ける。その後、全日本プロレスに入団する。
1992年2月、専修大学在学中に全日本プロレス入団会見が行われる。新人の入団会見が行われたのはジャンボ鶴田以来で19年ぶりであった。
1992年9月、セミファイナルの小橋建太戦でプロレスデビューする。世界最強タッグ決定リーグ戦に田上明と組み出場する。
1995年1月、アジアタッグ王座を獲得する。
NOAHに移籍
2000年7月、三沢光晴が創設したNOAHに移籍する。若手選手を率いて「STERNNESS」を結成する。
2001年7月、GHCヘビー級王座を獲得する。
永田裕志と団体を超えた信頼関係を構築、新日本プロレスに参戦
2001年10月8日、新日本プロレス東京ドーム大会で永田裕志と組み、武藤敬司・馳浩と対戦した。結果は永田裕志が馳からバックドロップホールドでとった。
2002年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会のメインに組まれたGHCヘビー級選手権で挑戦者・永田裕志に勝ち王座を防衛する。
2003年、G1クライマックスに出場し、準優勝であった。
2002年9月、齋藤彰俊と組み、GHCタッグ王座を獲得する。
2004年3月、白GHC(グローバル・ハードコア・クラウン)ベルトを創設する。
2008年7月、決定していたGHCヘビー級選手権「森嶋猛 vs 力皇猛」でタッグパートナーであった力皇猛が負けたら坊主にすると言ってしまった。試合では力皇が負けてしまい、本当に坊主になった。
2011年、グローバルタッグリーグ戦で齋藤彰俊と組み、優勝する。
2011年、全日本プロレスに参戦する。
2011年10月、諏訪魔に勝利し、三冠ヘビー級王座を獲得する。
2012年12月、NOAHを退団する。
全日本プロレスに戻り社長となる。
2013年7月、全日本プロレスに入団する。
2014年6月、全日本プロレス運営を行う会社の社長となる。
2015年9月、王道トーナメントで優勝する。
2017年3月、GAORA TV王座を獲得する。
2017年10月、大森隆男と組み、世界タッグ王座を獲得する。
2018年1月、アジアタッグ選手権に出場予定だった大森隆男が怪我で欠場したため、久しぶりに永田裕志とタッグを組んだ。
社長職を退任・DDTにレンタル移籍
2019年7月、社長職を退任しゼネラルマネージャーとなる。その後、ゼネラルマネージャーを退任し一選手に戻った。
2020年3月、DDTのゲストコーチとなる。
2020年6月27日、DDTにレンタル移籍する。当面は年末までの予定である。
秋山準が獲得したタイトル
三冠ヘビー級王座
世界タッグ王座
アジアタッグ王座
GAORA TV王座
チャンピオン・カーニバル優勝(2013年)
世界最強タッグ決定リーグ戦優勝(2014年)
王道トーナメント優勝(2015年)
GHCヘビー級王座
GHCタッグ王座
GHC(グローバル・ハードコア・クラウン)無差別級王座
グローバル・タッグ・リーグ戦優勝(2011年)
アイアンマンヘビーメタル級王座
秋山準は"解散マニア"である。
秋山準は、2000年にNOAHに移籍してから、新チーム「STERNNESS」を結成し、他のチームと軍団抗争をしていた。秋山は抗争中の軍団に「負けたら解散しろ」と言っていた。
三沢光晴のチーム「WAVE」やタッグチーム「本田多聞・井上雅央」と抗争したときは、「WAVEは解散し損ねてしまったので、"解散マニア"としては、本田井上組はぜひとも解散させたい」と述べていた。
その後、GHCタッグ選手権「秋山準・齋藤彰俊 vs 本田多聞・井上雅央」を「負けたら解散マッチ」とさせ、試合でも勝ったため、本田井上組を解散させることに成功した。