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オキシキナ[沖識名](1904-1983)

■略歴

沖識名は、沖縄県出身でハワイに移住した日系アメリカ人である。
ハワイで相撲や柔道で活躍した後、プロレスラーとなった。

1932年、プロレスデビューする。

1937年11月、NWAハワイジュニアヘビー級王座を獲得する。

1948年、現役を引退する。

力道山のコーチを務める

1951年、大相撲からプロレスに転向した力道山のコーチを務める。

1954年、力道山が創立したプロレス団体「日本プロレス」でレフェリーとなり、1973年まで務めた。

1973年、日本プロレスを辞め、ハワイに戻る。

1983年12月15日、死去する。

■獲得したタイトル

NWAハワイジュニアヘビー級王座

■沖識名のいろいろ

力道山を指導

レスラー引退後に、日本プロレスの父・力道山にプロレスの基本を指導したことで有名である。

また、「鉄人」ルー・テーズが若い頃に、テーズにコーチをしたことが自慢であった。

日本プロレスのレフェリーを務めた

沖識名は力道山との縁で日本プロレスのレフェリーとなったが、力道山が亡くなった後もレフェリーを続け、1954年から1973年までの長きにわたって日本プロレスのレフェリーを務めた。

試合後に暴走した外人レスラーからシャツを破かれ上半身裸になるのが定番であった。

「プロレスは八百長だろう」と言った人をボコボコにした

拳銃不法所持で逮捕されたとき、留置場で「プロレスは八百長だろう」と言った人をボコボコにした。

「俺が命を賭け、身体を張ってきたプロレスを八百長呼ばわりするとは許せない」と言っていた。

■人物プロフィール

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