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【歴史】日本が無謀な戦争をした原因を考える【2】政治体制の欠陥「統帥権独立」「帷幄上奏権」「軍部大臣現役武官制」

日本が無謀な戦争をした原因【1】政治体制の欠陥「統帥権独立」

大日本帝国の政治体制は、大日本帝国憲法に、統帥権が天皇にあることが明記され、様々な憲法解釈や立法がされ、太平洋戦争の時期には、以下の図のような構造となっていた。
陸海軍を指揮し統率する権限「統帥権」は、すべて天皇直轄となっていた。

帷幄上奏権・軍部大臣現役武官制から産まれた「魔法の杖」

昭和の日本の政治体制は、帷幄上奏権と軍部大臣現役武官制により、軍部の決定が内閣や議会より優先されるという状況になっていった。

帷幄上奏権
陸海軍は、内閣に介入されることなく、天皇に直接、上奏(天皇に意見を言う)することが認められていた。

軍部大臣現役武官制
軍部大臣に陸海軍の現役の武官が就く制度である。
内閣が陸海軍の方針に逆らうと、陸海軍は、内閣の一員である軍部大臣の就任を拒否し、軍部大臣が欠員となる内閣は機能できず、内閣が総辞職に追い込まれた。

「魔法の杖」の成立
帷幄上奏権と軍部大臣現役武官制により、陸海軍は、内閣に介入されずに方針を通し、議会は軍の方針の通りに予算を承認せざるを得なかった。
陸海軍は、国民から集めた税金を湯水のように使い、戦争を続けることができた。
これを作家の司馬遼太郎は「魔法の杖」と表現した。

天皇の姿勢「君臨すれども統治せず」

「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」⇒「君臨すれども統治せず」
大日本帝国憲法・第十一条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」の規定から、統帥権は昭和天皇が持っていた。しかし昭和天皇は「君臨すれども統治せず」の原則を守り、質問や意見を言うことはあるが、最終的には軍の方針の通りに承認した。それにより、陸海軍は独断で軍事行動をすることが可能となった。

昭和天皇の後悔
昭和天皇は、1928年の張作霖爆殺事件に対する田中首相の対応に不満を持ち、田中首相の責任を追及し叱責した。この後、田中内閣は総辞職し、田中首相は天皇に叱責されたことを重く受け止め心に病み、その後、狭心症で死去した。昭和天皇は、臣下を叱責したことにより、結果的に死に追いやったのではないかと反省し、これ以降は、臣下の提案に質問や意見は言うものの、最終的には提案の通りに承認した。

【参考】現行憲法では自衛隊の最高指揮監督権は内閣総理大臣が持つ

現状の日本国憲法では、自衛隊は、内閣総理大臣の命令がなければ軍事行動等の重要な任務に関わる行動は一切できない。
また、内閣、国会、裁判所の三権は、それぞれがチェックし合い、どこも暴走できない仕組みとなっている。

 

 

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