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棚橋弘至「俺は新日本のリングでプロレスをやります!!」

 




プロレスが格闘人気に押されていた時代

90年代後半から2000年代前半までは、PRIDEなどの総合格闘技が、ゴールデンタイムで地上波のテレビ放送がされるほど高い人気を誇っていた。

プロレスは格闘技人気に押されていた。

新日本プロレスは、武藤敬司、小島聡、ケンドーカシンが全日本プロレスに移籍し、観客動員が明らかに落ちていた。

猪木問答

2002年2月1日、新日本プロレス・札幌大会で試合終了後、蝶野正洋がアントニオ猪木をリング上に呼び出した。

猪木が数人の選手に対して問答をすることにより、選手たちの結束を図り、闘う意欲を鼓舞する趣旨のようであった。

猪木は選手たちに「何に怒っているか?」を問いかけた。

会社の幹部に対する怒りを述べる人、全日本プロレスに移籍した選手に対する怒りを述べる人、明るい未来が見えないと述べるものがいた。

最後に棚橋弘至にマイクが向けられた。

棚橋弘至「俺は新日本のリングでプロレスをやります!!」

棚橋弘至は、プロレスへの情熱、新日本プロレスへの愛が全くぶれていなかった。その気持ちが現れたのが、この言葉である。

猪木のズッコケ発言に蝶野が笑いをこらえる(これは重要ではない)

棚橋弘至が上記の言葉を力強く宣言した後、猪木が「まあ、それぞれの想いがあるから、それはさておいて」と言い、一同ズッコケる雰囲気になり蝶野正洋が笑いをこらえるのに必死だったが、このことはさほど重要ではない。

新日本プロレス復活のエネルギーは棚橋の宣言に集約されていた

この後、棚橋は、IWGPヘビー級王座戴冠、G1クライマックス優勝、プロレス大賞MVPなど数々の実績を積み、新日本プロレスのエースとして君臨した。

また、新日本プロレスの集客力アップのための創意工夫に取り組み、広報活動などを寝る間を惜しんで積極的に行い、新日本プロレスを復活させた。

新日本プロレスの復活は棚橋一人で成し遂げたわけではないが、棚橋が中心にいたことは間違いないであろう。

新日本プロレスの復活は様々な理由があるが、そのエネルギーは上記の宣言に集約されているといってもよい。


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