■プロフィール
■武藤敬司‥
◆山梨県出身
◆1962年12月23日生
◆188cm110kg
◆新日本→全日本→WRESTLE-1→NOAH
■略歴
1984年、新日本プロレスからプロレスデビューする。蝶野正洋、橋本真也と入門が同日であった。
1985年11月、アメリカ・フロリダに遠征する。「ホワイトニンジャ」となる。
1986年、帰国し「スペースローンウルフ」となるが、ブレイクしなかった。
1988年1月、プエルトリコに遠征し、「スーパーブラックニンジャ」となる。
グレートムタとなりアメリカで大ブレイク
1988年7月、NWAに参戦し、グレートカブキの息子「グレートムタ」となり、大ブレイクする。
1990年に帰国し、日本では武藤敬司として人気を得る。グレートムタには時々変身するようになる。
IWGPヘビー級王座を獲得、G1優勝
1995年5月、IWGPヘビー級王座を獲得する。
1995年8月、G1クライマックスで優勝する。
10.9決戦・足4の字固めで高田延彦を撃破・プロレス大賞MVP
1995年10月9日東京ドーム、「新日本プロレス vs UWFインターナショナル」のメインイベントで高田延彦とシングルマッチで対戦し、ドラゴンスクリューからの足4の字固めという古典的なプロレス技で勝利し、UWFに大ダメージを与えた。
nWo JAPANの大ムーブメントに加わる
1997年、蝶野正洋が大ヒットさせた「nWo JAPAN」の一員となり、ヒールとなる。
1998年、蝶野が負傷して欠場している間にnWo JAPANを仕切るようになり、小島聡を加入させる。その後、蝶野が復帰すると武藤と蝶野は決裂する。蝶野は「TEAM2000」を結成し、新日本本隊そっちのけで、「nWo JAPAN vs TEAM2000」の抗争が始まる。
1999年、2度目のプロレス大賞MVPを獲得する。
スキンヘッドになる
2000年大晦日・大阪ドームで高田延彦と一夜限りのタッグを組む。この試合からスキンヘッドになる。
全日本プロレス参戦、六冠王者
2001年1月、全日本プロレス東京ドーム大会に参戦する。その後、全日本プロレスに参戦することが多くなり、三冠ヘビー級、IWGPタッグ、世界タッグを獲得し、六冠王者となる。(ベルトの数=3+1+2=6)
2001年、3度目のプロレス大賞MVPを獲得する。
全日本プロレスに移籍、社長就任
2002年1月、小島聡とケンドーカシンとともに全日本プロレスに移籍する。
2002年4月、チャンピオンカーニバルで優勝する。
2002年10月、馬場元子から全日本プロレス株式を譲り受け、オーナー兼社長となる。
2003年、ZERO-ONEに全日本プロレスの選手とともに乱入、宣戦布告し、ZERO-ONEとの抗争が始まる。
2004年1月、新日本プロレスに参戦する。
2004年7月、NOAH東京ドーム大会で三沢光晴とタッグで対戦する。
2008年、新日本プロレスに参戦し、IWGPヘビー級王座を獲得する。
2008年、4度目のプロレス大賞MVPを獲得する。
2011年6月、平井伸和が試合後に急性硬膜下血腫で倒れた責任を取り、全日本プロレスの社長を辞任する。
全日本プロレス退団、WRESTLE-1創設
2013年5月、全日本プロレスを退団する。
2013年7月、新団体WRESTLE-1を旗揚げする。
NOAHに参戦、GHCヘビー級王座を獲得
2021年2月、潮崎豪に勝利し、GHCヘビー級王座を獲得する。IWGP・三冠・GHCのシングルヘビー級王座を獲得するのは史上3人目であった。
引退を発表
2022年6月、2023年春までに引退することを発表した。
獲得したタイトル
プロレス大賞MVP(1995年、1999年、2001年、2008年)
NWA世界ヘビー級王座
NWA世界TV王座
WCW世界タッグ王座
NWAフロリダ・ヘビー級王座
NWA USジュニアヘビー級王座
WWC TV王座
WWCプエルトリコ・ヘビー級王座
三冠ヘビー級王座
世界タッグ王座
F-1タッグ選手権
チャンピオン・カーニバル優勝(2002年・2004年・2007年)
世界最強タッグ決定リーグ戦優勝(2001年・2007年・2009年)
IWGPヘビー級王座
IWGPタッグ王座
グレーテスト18クラブ王座
G1 CLIMAX優勝(1995年)
G1 TAG LEAGUE(SG TAG LEAGUE)優勝(1993年・1994年・1997年・1998年・1999年)
WRESTLE-1チャンピオンシップ
GHCヘビー級王座