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Muto Keiji[武藤敬司]

■略歴

1984年、新日本プロレスからプロレスデビューする。蝶野正洋、橋本真也と入門が同日であった。

1985年11月、アメリカ・フロリダに遠征する。「ホワイトニンジャ」となる。

1986年、帰国し「スペースローンウルフ」となるが、ブレイクしなかった。

1988年1月、プエルトリコに遠征し、「スーパーブラックニンジャ」となる。

グレートムタとなりアメリカで大ブレイク

1988年7月、NWAに参戦し、グレートカブキの息子「グレートムタ」となり、大ブレイクする。

1990年に帰国し、日本では武藤敬司として人気を得る。グレートムタには時々変身するようになる。

IWGPヘビー級王座を獲得、G1優勝

1995年5月、IWGPヘビー級王座を獲得する。

1995年8月、G1クライマックスで優勝する。

10.9決戦・足4の字固めで高田延彦を撃破・プロレス大賞MVP

1995年10月9日東京ドーム、「新日本プロレス vs UWFインターナショナル」のメインイベントで高田延彦とシングルマッチで対戦し、ドラゴンスクリューからの足4の字固めという古典的なプロレス技で勝利し、UWFに大ダメージを与えた。

nWo JAPANの大ムーブメントに加わる

1997年、蝶野正洋が大ヒットさせた「nWo JAPAN」の一員となり、ヒールとなる。

1998年、蝶野が負傷して欠場している間にnWo JAPANを仕切るようになり、小島聡を加入させる。その後、蝶野が復帰すると武藤と蝶野は決裂する。蝶野は「TEAM2000」を結成し、新日本本隊そっちのけで、「nWo JAPAN vs TEAM2000」の抗争が始まる。

1999年、2度目のプロレス大賞MVPを獲得する。

スキンヘッドになる

2000年大晦日・大阪ドームで高田延彦と一夜限りのタッグを組む。この試合からスキンヘッドになる。

全日本プロレス参戦、六冠王者

2001年1月、全日本プロレス東京ドーム大会に参戦する。その後、全日本プロレスに参戦することが多くなり、三冠ヘビー級、IWGPタッグ、世界タッグを獲得し、六冠王者となる。(ベルトの数=3+1+2=6)

2001年、3度目のプロレス大賞MVPを獲得する。

全日本プロレスに移籍、社長就任

2002年1月、小島聡とケンドーカシンとともに全日本プロレスに移籍する。

2002年4月、チャンピオンカーニバルで優勝する。

2002年10月、馬場元子から全日本プロレス株式を譲り受け、オーナー兼社長となる。

2003年、ZERO-ONEに全日本プロレスの選手とともに乱入、宣戦布告し、ZERO-ONEとの抗争が始まる。

2004年1月、新日本プロレスに参戦する。

2004年7月、NOAH東京ドーム大会で三沢光晴とタッグで対戦する。

2008年、新日本プロレスに参戦し、IWGPヘビー級王座を獲得する。

2008年、4度目のプロレス大賞MVPを獲得する。

2011年6月、平井伸和が試合後に急性硬膜下血腫で倒れた責任を取り、全日本プロレスの社長を辞任する。

全日本プロレス退団、WRESTLE-1創設

2013年5月、全日本プロレスを退団する。

2013年7月、新団体WRESTLE-1を旗揚げする。

NOAHに参戦、GHCヘビー級王座を獲得

2021年2月、潮崎豪に勝利し、GHCヘビー級王座を獲得する。IWGP・三冠・GHCのシングルヘビー級王座を獲得するのは史上3人目であった。

引退を発表

2022年6月、2023年春までに引退することを発表した。

獲得したタイトル

プロレス大賞MVP(1995年、1999年、2001年、2008年)
NWA世界ヘビー級王座
NWA世界TV王座
WCW世界タッグ王座
NWAフロリダ・ヘビー級王座
NWA USジュニアヘビー級王座
WWC TV王座
WWCプエルトリコ・ヘビー級王座
三冠ヘビー級王座
世界タッグ王座
F-1タッグ選手権
チャンピオン・カーニバル優勝(2002年・2004年・2007年)
世界最強タッグ決定リーグ戦優勝(2001年・2007年・2009年)
IWGPヘビー級王座
IWGPタッグ王座
グレーテスト18クラブ王座
G1 CLIMAX優勝(1995年)
G1 TAG LEAGUE(SG TAG LEAGUE)優勝(1993年・1994年・1997年・1998年・1999年)
WRESTLE-1チャンピオンシップ
GHCヘビー級王座

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