■小橋建太の練習量は異常であった
小橋建太は、全日本プロレスに入門しプロレスデビューする前は目立つような格闘技経験はなく、ゼロからのスタートであった。小橋建太がトップレスラーとなったのは、練習の賜物という以外にないであろう。
Kobashi Kenta[小橋建太]◆京都府福知山市出身 ◆1967年3月27日生 ◆186cm120kg ◆京セラ⇒全日本⇒NOAH ◆プロレス大賞MVP2回
小橋の練習熱心さは、周りの人から見て異常ともいえるほどであり、小橋や小橋の周囲の人のいろいろな発言が伝えられている。
ジャイアント馬場「休むのも練習の内だから休め」
ジャイアント馬場がひたすら練習を続ける小橋に対して言った言葉
ジャイアント馬場「小橋は趣味が練習、職業はプロレスラー」
川田利明「あいつを殺すには刃物は要らない。ダンベルを取り上げればいい」
小橋建太「俺が死んでも三沢さんを恨まないでくれ」
三沢光晴との選手権の前日に小橋から母へ伝えた言葉。試合後、小橋は病院に直行し試合後のスポーツ番組に出演できなかった。
三沢光晴「病室にダンベルを持ち込ませるな」
NOAH時代に小橋が腹腔鏡下手術を受けた時、社長の三沢光晴が全選手に言った言葉
全日プロレスの若手選手時代、小橋の練習熱心さが異常で、他の選手たちがあきれて嘲笑していた。それに対して、当時のトップレスラーだった天龍源一郎が言った言葉が以下の言葉である。
「おまえら笑ってるけどな、今にこいつに食わせてもらう日が必ず来るぞ」
テンリュウゲンイチロウ[天龍源一郎]◆福井県勝山市出身 ◆1950年2月2日 ◆189cm120kg ◆二所ノ関部屋→全日本→SWS→WAR→天龍プロジェクト ◆馬場と猪木の両方からスリーカウントをとった唯一の日本人
この後、小橋建太はプロレス大賞MVPを2回受賞し、三冠、GHCヘビー級チャンピオンとして君臨し、ベストバウト賞の常連となり、正真正銘の団体を背負うトップレスラーとなった。天龍源一郎が言った言葉は本当になったといって良いであろう。
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